ふるさと昔話 - 047/056page

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岩瀬村歴史年表
 
時代
西 暦
年 号
歴  史  的  事  項

   
化 石 出 土   大字守屋字土合地区(二枚貝、巻貝)
大字梅田字高村地区( 〃  〃 )
土器石器出土   大字北横田字山下地区(石鏃、石斧、弥生式土器)
大字守屋字岡ノ内(土器)
大字梅田字土合地区(土器、石鏃、石槍)
大字守屋字向原地区(土器)
大字今泉字鼡内地区(土器)
大字守屋字竹ノ内地区(土器)
大字柱田字跡見塚地区(土器、石斧、石鏃)
大字深渡戸字赤土山(石鏃)
窯     跡   大字守屋字二本木地区
大字柱田字雨降山地区
古     墳   大字梅田 壇塚古墳(円墳)
大字柱田 南谷地古墳群(円墳)
大字柱田 梅ノ木古墳群(円墳)
大字柱田 念仏壇古墳群(円墳)
大字柱田 跡見塚古墳群(方墳、円墳)
大字柱田 石井山古墳群(円墳)
大字柱田 大壇古墳(円墳)




978BC
 71〜
     131〜

645〜
  第10年崇神天皇のとき全国に四道将軍を配した。
第12代景行天皇のとき武内宿弥東北巡視、日本武尊東北征討、滑川地名できる。
第13代成務天皇のとき石背(岩瀬)国造として健弥依米命を任命した。(国造本記)
第36代孝徳天皇のとき郡県制度を設け国司、郡司を置く。石背国造第14世安丸は石背国図を朝廷に奉る。この中に江原ノ郷、白方の郷名あり。諸郡を合して道奥国(後陸奥と改む)とした。東北地方は以前は東夷又は蝦夷と呼ばれていた。



707〜
 
715〜
 
718
養老2 第43代元明天皇のとき坂上田村磨呂征夷大将軍となり東征。東北地方は和同以前は陸奥といわれた。
第44代元正天皇のとき白河、石背、会津、安積、信夫の5郡を陸奥から割いて石背国を置く。
大久保に常陸国の住人移住すという。


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