ふるさと昔話 - 049/056page

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時代
西 暦
年 号
歴 史 的 事 項





1590
 
 
1591
 
1592
1593
1594
1596〜
1598
 
1602
 
 
 
1609
天正18
〃 18
〃 18
〃 19
〃 19
文禄元
〃 2
〃 3
慶長元
〃 3
 
〃 6
 
〃 6
 
〃 14
白江大久保城は政宗のために落城した。(白江村誌)
今泉城は伊達政宗のため落城した。(今泉村誌)
里守屋村は若松城主蒲生氏郷の領となる。(守屋村誌)
秀吉は会津4郡、仙道7郡120万石を蒲生氏郷に与えた。
今泉村、柱田村、滝村、白江村は蒲生氏郷の領となる。(各村誌)
梅田長命寺建立(梅田村誌)
柱田照光寺開山(柱田村誌)
秀吉は青木但馬をしてこの地方の検地をさせた。
このころ里守屋獅子舞始まると。(昭47村文化財指定)
上杉景勝は須賀川に栗田刑務、長沼に島津佐京をおいてこの地方を治
めた。
里守屋村、今泉村、柱田村、梅田村は若松城主蒲生秀行の領となる。
(各村誌)
蒲生秀行は会津60万石の領主となり須賀川に蒲生源左工門を、長沼に
蒲生五郎兵エをおいて始めた。
長沼城代は玉井数馬とその子稲田志摩を交替した。




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1627
 
 
1627
 
 
1643
 
1649
 
 
 
 
 
 
 
 
1658
1659
1662〜
1682
1671
1673
1673
1680
寛永4
 
 
〃 4
〃 4
 
 
〃 20
〃 20
〃 20
慶安2
慶安2
寛文2
 
 
 
万治年中
万治2
寛文2〜
天和2
寛文11
〃 13
延宝年中
〃 8
加藤嘉明は会津40万石の城主となり須賀川に松本仁右エ門、長沼に青
木左右エ門、恒川又右エ門を郡代としてこの地方を治めた。(里守屋、
梅田村、滝村各村誌)
滝新田、吉兵エ新田が墾かれた。
大久保村、畑田村、矢沢村、深渡戸村は幕領となり御蔵入と称した。
(白江村誌)
里守屋村、今泉村、梅田村は白河城主松平大輔忠次の領となる。
(各村誌)
北横田村、滝村、柱田村は白河城主松平忠次の支配となる。(両村誌)
滝新田村に会津領加藤嘉明の兵卒定住す。(滝村誌)
柱田村、梅田村、滝村は幕臣三枝能登守の支配となる。(各村誌)
幕府は岩瀬郡のうち長沼・勢至堂・江花・滝・滝新田、成田(梅田)、
里守屋、町守屋、今泉、上下柱田、舘ケ岡、南北横田、志茂、深渡戸、
吉兵エ新田、畑田、矢沢、大久保、堀込、木之崎、松塚、稲村、泉田、
大桑原、牛袋、山寺、袋田、越久、仁井田、滑川の32ケ村2万600石
を幕領として長沼に陣屋をおき、代官設楽源左エ門、近山五郎右工門
をして治めさせた。
上柱田村、下柱田村は分村した。(柱田村誌)
里守屋村、町守屋村は分村した。(守屋村誌)
代官市川孫右エ門の支配となる。(白河村誌)
 
長命寺観音堂鰐口記銘(昭47村文化財指定)
長沼支配下検地の結果2万9000石となった。
今泉村は幕領となる。(今泉村誌)
西蔵寺焼失(守屋村誌)


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