ふるさと昔話 2 - 009/066page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

  観音堂の由来

 

 岩瀬村大久保、須賀川市の松塚に近い小高い山にお堂があります。昔、花の季節になると毎年、村の人たちが眺めのいいこのお堂に集って飲んで歌ってお花見さわぎをやっていました。ところが、この平和な村人たちを震えあがらせる噂が広がったんです。

 それは、夜、このお堂に化物が出るっていうんです。お堂が高(たけ)い所(どこ)だがら、参道が坂になっています。夜が更けてしーんと静まり返っと、長い参道の落葉がかさこそ、かさこそ〃音を立て、耳をすますと、いやーな震え声で〃卵(たーまご)ころばしあぶないなー、卵(たーまご)ころばしあぶないなー〃と聞こえるんです。そして下境(しもざかい)という屋敷のうらまで来っと、また上に登る足音がして、何回でも繰り返すんです。

 このさわぎが村中の話になり、卵が途中で止まるように南向きの参道を途中から西向きの参道に替えたが、さっぱり効き目がない。さあ、こうなっと、あれやこれやと、おがんでもらったり、占いをしてもらったり、仕事も手につかねい大さわぎになったが、神様のお告げがあって「村の人たちがあんまり花見ばっかりして神様だの仏様の信心が薄いので、これでは村が滅びてしもう、観音様を祀(まつ)るように」といわれ、花見のお堂に観音様を祀ったら不思議なことに化物が出なくなりました。

 おまつりにごちそうを持ち寄るのは昔と変らないが今は観音様のお詣りです。

 花見堂が観音堂になっても昔の由来そのまま、小字名(こあざめい)が花見堂となっています。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は岩瀬村教育委員会に帰属します。
岩瀬村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。