ふるさと昔話 2 - 011/066page

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  ませ木をかけられた神馬

 

 梅田部落に、高村山竹林寺観音堂があって、木像の神馬二頭が奉納されている。
 白い馬は、雨(あま)年に晴天になるように観音さまに、お使いにゆき、黒い馬は、日照りの年に雨乞(あまご)いにお使いにゆくとのことだった。

 或(ある)年、春早い頃、八幡岳の峯に残雪が見え、畑の麦も青々と伸びてきた。
 或(ある)日の朝だった。部落の百姓、武兵衛が息を切らして家に帰る途中、喜助に出逢った。
 「喜助どんおらげの麦、馬に喰(く)わちゃで」といったら「馬が麦を喰(く)った、おかしでねいか、むらの馬は外には出ねいぞ」と、喜助は言った。「うんだなあ、そういわれりゃな」と、武兵衛は、狐にだまされたような気持ちになった。武兵衛は、百姓熱心な人だけにがっかりしたらしい。

 その日はそれですんだが、二三日あと、伝三郎どんの麦も弥平どんの家でも喰わちゃと騒ぎは大きくなった。
 村びとたちは、寄合をもつことになった。どこの家でも馬は一匹だって外にださねいのに、と
 寄合(よりあい)の「きめ」で夜番をすることになった。

 二人一組で、今夜は与三郎と孫右ヱ門、宵のうちはさほどではなかったが、昼の疲れがでたのか「うと」「うと」とした。
 明け方「がさ」「がさ」という音に眼をさました。とおくの方に、白と黒の二頭の馬がいるのではないか。
 息をころしながら近くに寄ると、馬は遠くに見える。明け方近く馬はお寺の森のほうへゆくではないか。なおも二人は、馬を追っかけてみると、馬は観音堂の中に消えた。

 まさか神馬が麦を喰ったなどとは、二人はたまげて顔を見合わせた。
 たしかに神馬の口には、麦の葉っぱがついていたそうだ。
 与三郎と孫右ヱ門は、このことを村びとたちに話した。
 村の寄合では麦を喰(く)わっちゃんではと神馬にませ木をかけることにしたという。

 そのあとは、麦は喰われなかったそうだ。
 ませ木とは馬小屋の入口にかける横木をいう。


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