ふるさと昔話 2 - 015/066page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

  甚蔵兵衛と胡麻の蝿(はい)

 

 甚蔵兵衛(づんぞうべー)は、梅田村の高村生まれで大男であった。身長七尺、それに大飯くらいで、一食五升を喰べたと言われた人だった。いまでも飯碗(めしわん)が大事に保存されている。足の早いことでも知られていた。足の早いことでは反物一反の長さは二丈八尺、二反分、五丈六尺の長い布も走ると、上につかないといわれるスピードの持主だったそうな。

 その当時でも、甚蔵兵衛(づんぞうベえー)ほどの人はいなかった。変わった人には間違いない、その甚蔵兵衛(づんぞうべー)が胡麻のはいを喰(く)わせた話である。

 奥洲街道に「胡麻のはい」という商売人がいて、柳行季を旅人にたのんでは、荷物のことで因縁をつけて金をおどし取るという悪い奴、その胡麻の蝿は、足の早いこと普通の人の三倍くらいのスピードで走るそうだ。

 旅人に荷物と宿を指定して、そこで荷物を受けとるからといって頼み、そこで旅人から受けとっては、大事な書付だったとか、大金だったとかいって旅人を「ゆす」っていた。甚蔵兵衛はお江戸で用達を終えて岩代に帰る途中 蓮田の宿で胡麻のはいに出会った。
「旅人さんどちらまでゆくんかい」と、胡麻の蝿が声をかけた。「岩代まで帰えんだて」と、甚蔵兵衛(づんぞうべえー)がいった。
「すんません宇都宮宿に届けてくだせい、大事な番付がはいってんだけんども、お礼は充分にしっぞい」胡麻のはいがいった。人のいい甚蔵兵衛(づんぞうべえー)は二つ返事で引受け、荷物を肩にかけて岩代へと帰り道を急いだ。

 古河の宿についた甚蔵兵衛(づんぞうべー)はびっくりした。茶屋には、荷物をあずけた人がいるではないか、俺も足には自信があんだが、彼も速いなあとひとり感心していた。

 そして次の小山の宿で泊ることにした。日が暮れたので越後屋に厄介になった。

 やがて女中がきて「お客さん、風呂先にしっかい、ご飯にしっかい」といったので甚蔵兵衛(づんぞうべー)は、風呂を先にと風呂場にいってまた驚いた。
 荷物をあずけた人がはな唄で風呂に入っているではないか。
 甚蔵兵衛(づんぞうべー)は考えた「ははあ」話にはきいていたが、これ


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は岩瀬村教育委員会に帰属します。
岩瀬村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。