ふるさと昔話 2 - 037/066page

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  おまん狐

 

 昔、下柱田村には、須賀川より今泉、そして深渡戸にゆく街道があり、その道筋に四ツ担原という淋しい野っ原があったそうだ。
 そこに石祠があって附近に、おまん婆さんが住んでいた。
 毎日といっていいほど、おまん婆さんは卵や米などもって百祠にお参りしてたと。狐は、それを見てはごちそうになつていたそうな。

 或る日、おまん婆さんが街道のそばの畑で仕事をしようとしたら、道はだで若いボデフリが腹でも痛いのか、うずくまっていた。
 婆さんは「どっか悪いんだべ」と話した。
 若い者は、「体じゅうが痛いんや」といったので、婆さんはこりゃ大変だと、わが家に連れていって薬湯を飲ませたり汗をふいたりして看病したら間もなく落ちついた。

 しばらくして若者は、「婆さん、よくなったぞい。世話になったない」と帰ろうとしたので、婆さんは「一晩、泊っていかせい」と無理にもとめてやったそうだ。

 その後何年か過ぎた。おまん婆さんは年老い天寿を全した。その時のボデフリも努力して、「のれん」をもった商人となったので婆さんに一目でもいい今の姿をみせたいと、礼をいいたいと、この地を訪れたが狐は、おまん婆さんに世話になったので恩がえしと、婆さんに化けて、「あんときのボデフリさんかい立派になったない。」と声をかけた。

 商人は、「丈夫でいなすったなあ、おかげで一人前のあきんどにになったぞい。」と婆さんに世話になったお陰だと涙を流したという。
 狐も世話になったことを思いだしたのか、ともに涙をながした。

 その後、狐を誰言うともなくおまん狐と言ったそうだ。

おまん狐


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