ふるさと昔話 2 - 059/066page

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  願掛けお大師


 昔、町守屋に笹原川を境にして、二人の長者がおった。どういうわけか、お互いに仲が悪く村人たちも川をはさんでいがみ合っていたそうな。川向こうの長者に伊太郎、川のこちらの長者には菊という娘がいた。お互いに川に向いて呼びあって恋を燃していた。親同志が仲が悪いので二人の恋は結ばられる筈はない。

 ついに恋の病に、二人は日に日に痩せおとろえていった。子を想(おも)わない親はない、両方の長者は子を見るにつけ悲しんだ。そのころ川向こうに霧ケ寺というお寺があって、高野山から来たともいわれた従縁和尚が居った。徳の高い人であったので、娘の長者は寺に相談にいった。

 実はうちの娘が夜な夜な眠れず、ろくなご飯もたべない。毎日ぼうつとして来て、果て困りました。どうしたらよかんべない、と話した。御坊は病気にはちがいないが、なおる病気だと。それには二つのことをやらないとなおらないよ といった。

 ひとつは、二人の長者で川に橋を掛けること。もうひとつは、お大師さまの碑を立てること。

 長者は早速村人に命じて橋を掛けた。従縁和尚は石にお大師さまを刻み、橋のたもとに立て、三日三晩密法真言を唱えた。どうしたことか長者も村人たちもいつのまにか心が和らぎ、村中明るくなった。そして伊太郎と菊は間もなく祝言をあげ、橋の渡りそめをして川向こうに嫁にいった。その後二人は幸せな暮らしをして村も益々栄えていったと。今もだれ言うとなく、願掛けお大師さまといわれ、願を掛ければ願いごとが適(かな)うといわれている。願掛けお大師は、西蔵寺の境内(けいだい)にある。


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