石陽社をささえた吉田光一
石川町には,河野広中とともに,自由民権運動を進めた中心的人物として,神官の吉田光一や大庄屋の鈴木重謙,士族の笠原忠節などがいました。
特に吉田光一は,後に初代石川町長にもなった人で,石陽社幹事として東北各地を歩いてまわり,国会を開き憲法をつくることの大切さを,民衆にうったえつづけました。県会議員になった時は,県令(現在の県知事)を批判する演説などをおこない,福島事件では逮捕されることもありました。吉田光一の日記「会津嶺吹雪」には,そのころの苦しい日々の様子がくわしく書かれています。
吉田光一(1845〜1895)
会津嶺吹雪原本と会津高校出版の本
吉田光一生家(下泉)
吉田光一年表
年 できごと 1845 石都々古和気神社の神飾吉田光長の長男として生まれる 1875 河野広中と知り合い、自由民権運動に参加する 1879 同志募集のため、東北各地を歩く 1881 県会議員に当選 福島事件で逮捕される 1883 逃亡生活を送る会津嶺吹雪をかく 1889 石川村長となる 1890 国会開設 1892 石川義塾(学法石川)の設立を助ける 1894 初代石川町長になる 1895 五十一歳、病気でなくなる