石川町の文化財 - 005/010page

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「  世 」

曲木石造塔婆曲木石造塔婆(町指定文化財)

 曲木地区の坂ノ下には、14基の石造供養塔婆群があります。いずれも、紀年銘から鎌倉時代に造られたことが分かります。大日如来、釈迦如来、虚空蔵菩薩などが、梵字で刻まれています。特に、胎蔵界大日如来塔婆には、建治元年(1275年)の銘があり、石川町の石造塔婆中最も古いものです。なお、同地区の字南には、朱彩が施された線彫阿弥陀一尊塔婆や浮彫の阿弥陀一尊塔婆などの石造塔婆群があります。


薬王寺の版木

薬王寺の版木(県指定重要文化財)

 徳一によって開山されたと伝えられている薬王寺(真言宗)には、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての版木81枚が残されています。版木とはお経や仏像を印刷する木版の台木です。
内訳は、仁王般若経版木11枚・正慶元年(1332年)の銘、妙法蓮華経版木70枚・康暦2年(1380年)の銘となっています。これにより、薬王寺が盛んに経文を印刷して布教活動をしていたことが分かります。

大蔵院文書

大蔵院文書(県指定重要文化財)

 大蔵院は、元禄元年ごろまで八大院と称した修験の寺です。文書は八大院を経て大蔵院に伝来したものです。2巻14通と、他1通が現存しています。石川地方の修験の在り方を示す史料として貴重なものです。

石都々古和気神社鰐口

石都々古和気(いわつつこわけ)神社鰐口(県指定重要文化財)

 石都々古和気(いわつつこわけ)神社は、はじめ農業の神が祭られていましたが、のちに石川有光が氏神である八幡神を一緒に祭りました。応永30年(1423年)に奉納された銅製の鰐口には「奥州石川庄泉村舘之八幡之鰐口也 応永卅年癸卯卯月五日大旦那源持光別当重慶敬白」の銘があることから、石川持光が寄進したものと分かります。

三芦城跡

三芦城跡

 石川氏の祖・石川有光が平安時代に築城したと伝えられ、24代昭光が豊臣秀吉に領地を没収されるまでの石川氏の居城で、石川町のシンボルとなっています。中心部の三方は急な崖で、西北は空濠で区切られた連郭式の山城です。本丸と西舘の間には、長さ50メートルの空濠(濠切)があります。現在、本丸跡には石都々古和気神社が奉られています。


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