第3・4学年社会科学習資料 わたしたちの玉川村 - 074/102page
村の西部のうちでも、特に龍崎(たつざき)村(今の竜崎)はいつもひどい水不足で大変困(たいへんこま)っていました。すぐ近くを、大きなあぶくま川が流れていましたが、村の田畑に引くことができなかったのです。
昔(江戸(えど)時代の頃)の龍崎村の人々が、水不足で大変困っていた様子を、次の資料を読んで話し合ってみましょう。
ウ 龍崎村の水不足のようす
(玉川村史)
明治7年(1770年)は、ほとんど雨が降らず、全国的に日照(ひで)りの害(がい)をうけました。藩(はん)は、寺や神社に雨ごいのきとうをするように命じ、各村でも、千駄焚(せんだだ)きや、龍王祭り、太鼓打(たいこう)ちなどをしました。
龍崎村の被害(ひがい)は大変(たいへん)ひどく、食(た)べ物がまったくない家もたくさんありました。しかも、6年前から続いていた水不足のため、村の人々はこまりきっていました。そして、この年は田植(たう)えもできなくて、生活していくのさえむずかしくなっていました。当時、村には70戸ありましたが、苦しい生活のため、94年後には、58戸にへってしまっていたそうです。
※千駄焚(せんだだ)き …… まきをたくさん集(あつ)めて燃(も)やし、それによって大気をあたためて雨雲をよび、雨をふらせようとする雨ごいのきとう。 ※龍王祭(りゅうおうまつ)り …… 龍が天から黒雲に乗(の)っておりてきて、雨をふらせてくれるようにいのる雨ごいのきとう。