あさかわまちが生んだ偉人-013/093page

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そして、「国語は、現在使われている漢字かなまじり文を基本とすること。」を主張しました。国語審議会では、この富三の考え方をとり入れて文章を書くときの約束とすることにしました。このように、富三は、医学者でありながら国語学者としても活躍しました。それは、ちょうど医者であり、文学者であった明治の文豪、森鴎外に似ています。
富三は、浅川町のめいよ町民であるばかりでなく、世界にほこる大学者として、ノーベル賞の話題にも、なん度かあがりました。
日本は、明治になってから、西洋からいろいろな文化を取り入れ世界の人々との交流を盛んに行ってきました。しかし、外国の人々から見ると、日本語は漢字やかなが入りまじり、たいへん難しいと
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