あさかわまちが生んだ偉人-037/093page
原で、元気に遊ぶ子どもでした。その頃は、電灯などはなかったので、夕方まで元気に遊び、カラスが森に帰っていくのを見ながら、夕日の中を家に帰って行ったり、夜、月や星の光を見たり、自然の不思議な力の中で自分を見つめ、考える力を養いました。
明治四十二年の四月、富三は浅川小学校に入学しました。小学校時代は、元気に遊ぶ子どもでしたが、また、勉強もよくして、成績もたいへんよく、先生から東京の府立第一中学校にも入れる学力がある、と言われるほどでした。
富三は、小学校を卒業すると、東京に出ました。まだ十三歳の富三が両親と別れる時、母ナヲは、涙を流して悲しみました。しかし、すぐに、「自分の子どもが、学問をするために東京に出るのだ。」と思い直して、富三に、健康に注意してしっかり勉強するように、と言って励ましました。富三が東京に出る頃の時代は、浅川から東京はとても遠かったのです。
中学校は、東京の錦城中学校に入学しました。最初は府立第一中学校に入学したかったのですが、入学試験の面接の時に、東北弁だったことで、うまく答えられなかったために、入学できなかったのです。しかし富三は、錦城中学校で本気になって勉強して、第一高等学校(今の東京大学)を受験して合格しまし