あさかわまちが生んだ偉人-038/093page

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た。大正九年(一九二〇年)の時です。
富三は、中学校の頃、夏休みなどに、東京から浅川に帰って来ると、その頃浅川町ではめずらしかった自転車を、小学校の校庭に持ち出して遊びました。近くの子供たちを乗せてあげたりして、よ<めんどうをみました。集まってきた子供たち全員を公平に、あたたかい心で遊んであげたので、とても尊敬されました。やさしい、思いやりのある少年だったのです。

富三は、昭和二年(一九二七年)東京帝国大学医学部(今の東京大学)を卒業して、大学に残ってさらに研究を続けることにしました。故郷の父にしてみれば、早く医者になって、自分のところに帰って来てもらいたいと考えたかもしれません。
しかし富三は、開業の医者になるにしても人間の体のしくみを、実際に調べることが大事なことだと考えていたのです。
ところが、富三が大学に残って研究を始めてか
父 吉田喜一郎
父 吉田喜一郎
1873年(明治6年)生まれ
1929年(昭和4年)逝去

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