あさかわまちが生んだ偉人-039/093page

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ら二年目に、父喜一郎が急病で亡くなってしまいました。そのために、佐々木研究所というところに入りました。初めてもらった給料は、百円だったそうです。その研究所は、所長さんと、所員は富三一人でした。
富三は、佐々木研究所に入って三年目の、昭和七年(一九三二年)に、ラットにアゾ化合物を食べさせることによって、肝臓にガンが発生することを発見しました。この研究は、富三にとって、やがて「吉田肉腫」を発見し、日本ばかりでなく世界でも、ガンの研究者として知られるようになった最初の大研究だったのです。
昭和十年(一九三五年)、富三は、佐々木研究所での研究が認められて、ガンの研究者に与えられる、山極賞を受賞しました。三十三歳のときでした。
その年に、富三は、佐々木研究所をやめて、長崎医科大学の助教授となり、文部省から、ドイツのベルリン大学への留学を命ぜられました。
昭和十一年(一九三六年)二月に、それまでの研究が認められて、帝国学士院から第一回の恩賜賞を授けられました。そして、九月には、医学博士の学位を受けました。もう、その頃には、富三は、ガンの研究者として世界の医学会からも認められていたのです。

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