あさかわまちが生んだ偉人-041/093page
深く感じたことと思います。
東北大学に移ってからも、「長崎系腹水肉腫」の研究は続けられ、昭和二十三年の第七回癌学会で、「吉田肉腫」と改名されました。
それからも「吉田肉腫」についての研究は、ますます有名になり、昭和二十四年には「吉田肉腫」という本を出版しました。
昭和二十六年(一九五一年)には、「吉田肉腫」の研究について、昭和天皇陛下が御覧になり、富三は、自分の研究について、お話をしました。
また富三は、「吉田肉腫」をもとにしたガンの化学療法にも取りくみ、昭和二十七年には、日本で初めて「ガンの薬」を販売することに成功しました。そして、同じ年に朝日賞を受賞し、東京大学教授となり、昭和二十八年(一九五一二年)には、二回目の恩賜賞を受賞しました。一人の人の研究が、二回も恩賜賞を受けるということは、たいへん名誉なことで、富三の研究の偉大なことがわかります。
昭和二十七年(一九五二年)、東京大学教授となった富三は、日本の代表として世界の各国を訪問して、国際会議に出席しました。昭和二十九年(一九五四年)五十一歳の時に訪問した国々は、アルゼンチン・ブラジル・チリ・パナ