あさかわまちが生んだ偉人-082/093page

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農作物で生活していました。
いろいろな部品を作っているうち、油圧に着眼し、本格的に取り組むようになりました。何度も何度も失敗を重ねた後、ついに内田式ギアポンプを完成し全国発明展覧会に出品しました。そして、発明振興賞という立派な賞に輝きました。この内田式ギアポンプが、現在の内田油圧のもとになったのです。
しかし、これで仕事がたくさんきたわけではありません。最初の本格的な仕事は、ダンプ用トラックの部品でした。それも外国の部品を見ながらの製作でたいへんでした。また、軽飛行機の生産が始められ、内田製の部品が使われました。これがきっかけで、内田産業はようやく安定してきたのです。
昭和三十二年(一九五七年)、ロータリープランジャーポンプが完成し、二、三年後には、この超高圧ポンプが大量に作られるようになりました。こうして、内田産業は油圧機器メーカーとして一本立ちできるようになりました。
ダンプカーやブルドーザ、パワーショベルなどの建設機械用のギアポンプから船で使う船舶用油圧器まで、いろいろな部品を作りました。それも、みんな自分たちの創意工夫によって開発した部品でした。
昭和三十六年(一九六一年)、会社の名前を内田油圧機器株式会社と改めま

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