三春の歴史-017/52page
村麻呂の軍の前まで来ると、ぴたりと止まった。
「ありがたい。それ。」
田村麻呂がすばやくその一頭にひらりとまたがると、残る九十九人も続いて飛び乗り、寄せてくる大多鬼丸の手下どもの中にどっとせめいった。
大多鬼丸は、ふってわいたような新しい馬の軍勢にびっくり、たちまち打ちのめされて、とうとうほろぼされてしまった。
その夜、戦勝祝賀の酒もりが開かれていたとき、不思議なことが起こった。いたわって、かいばもじゅうぶんにやっておいた百頭の馬が、いっしゅんのうちに消えてしまったのである。その知らせを聞いた田村麻呂が、ふと思い出したのは、京でもらった木ぼりの馬のことである。急いではこをあけてみるとどうであろう。百頭の木ぼりの馬は、どれもこれもびっしょりとあせにまみれていた。
「そうか、この馬がわしを助けてくれたのか。」
田村麻呂は、強く心をうたれた。
田村麻呂は、三春の戦いの記念にこの木ぼりの馬を村に残し、たいせつにあつかうように言いつけて去っていった。
不思議できごとは、まだ終わりにはならなかった。
田村麻呂が去ると同時に、木ぼりの馬の中の一頭が、はこから消えてしまったのである。村の人たちは、
「それは田村麻呂様をお乗せした馬にちがいない。きっとおあとをしたっていったのだろう。」
と、うわさし合った。
あとの九十九頭の木ぼりの馬は、はこに入れられたまま、長い間村に残されていた。
三春駒は、こうした語り伝えから、村の人の手でつくられるようになったといわれています。
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