三春の歴史-019/52page

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(3)石塔婆と人々の信仰(鎌倉時代〜室町時代)

田村地方につたわる室町時代までの文化財の中で、今に残されているものに、「板碑」とよばれている石塔婆があります。
これは、石造塔婆とも石造供養塔婆ともいわれ、鎌倉・室町時代につくられたものです。
石塔婆は、上のほうに仏の種字(仏やぼさつなどを表示する文字)をほり、つくられた年や理由をきざみ、なくなった人を供養したり、極楽往生ができるように祈ってつくられたものです。
この石塔婆からは、戦いの多い時代に生きてきた人々の苦しみや、仏教の教えが生活の中にしみこんでいたことなどを知ることができます。
また、この石塔婆は、人々のいききの多い道路のそばにたてられたので、今も石塔婆のあるところは、むかし栄えたところであることがわかります。
三春町にある石塔婆は、上舞木にあるものが最も古く、1284年(弘安7年)にたてられたもので、地元の人は、「弘安の碑」ともよんでいます。
このほかには、下舞木、下山田、鷹巣、斎藤、沼沢、蛇石、滝、貝山、庄司、七草木、実沢、熊耳などにあったことが確かめられています。
三春町歴史民俗資料館の庭には、鷹巣の石塔婆が展示されています。
信仰による文化が当時の文化の中心であったことがわかるものに、福島県指定文化財である光岩寺の「木造阿弥陀如来立像」(1280年)や、国認定重要美術品である田村大元神社の銅鏡「松喰鶴鏡」(1295年)をはじめ、たくさんの仏像があり、三春の各寺に残されています。

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