三春の歴史-028/52page

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馬は家族の一員であったから、馬市には家族全員でつきそったそうです。
馬市には、大勢の人々が集まってにぎやかだったといわれています。
江戸時代は、葉たばこや養蚕もさかんにおこなわれるようになりました。
葉たばこも養蚕も農家にとっては収入になるので、そのころの主な作物であった米や雑穀の生産をおろそかにして、葉たばこや養蚕に力を入れる人が増えてきました。
大切な食料の生産をぎせいにする人がでてきたため、三春藩は、葉たばこの作付を半分に減らすなどのきびしい制限をつけました。
養蚕の技術はあまり進んでいなかったので、養蚕家の信こうを集めた寺社が多かったといわれています。

ウ 町人のくらし

城下町には町人が大勢住んでいました。
城下町三春には、米をはじめいろいろな品物が集まり、それらの売買にあたりました。
塩、せと物、さとう、綿糸、小間物などが他領から入り、三春からは、米やたばこ、まゆなどが出ていきました。
町人は武士の生活に必要な食料品や生活用品の調達もしました。
町人の生活は、農民とあまり変わりがなく、町人は税をお金で納めていました。
三春城下には職人もたくさんおり、すぐれた技術をもっていました。
かじ屋、おけ屋、すげがさ屋、ちょうちん屋、そめ物屋、かみゆい、下駄屋など、たくさんの職種があったといわれています。
今でも当時の技術を受けついでいる店を、町内のところどころで見ることができます。

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