ここでつくられた「だるま」は、毎年1月15日に行われる三春の「だるま市」に出され、買いもとめる大勢の人でにぎわいます。
イ.三春駒
三春駒の伝説については、「坂上田村麻呂」のところでのべましたが、江戸時代になってから、三春駒がさかんにつくられるようになりました。
三春藩は、よい馬の増産をすすめたため、農家の人たちは、よい馬が生まれ、じょうぶに育つように、馬頭観音におまいりをしました。
そのとき、絵馬や木の馬をきざんで奉納する人が多く、三春駒もさかんにつくられるようになったのではないかと考えられます。
荒町にある馬頭観音は、馬の成育を願う人たちで、門前町としてにぎわっていました。
また、江戸時代の子どもたちは、生活と結びついた愛着の深い馬をもとにした親の手作りの駒で遊びました。
こうして、現在の三春駒へつくりつながれてきたのではないかと思われます。
(幕末期 江戸時代の終わり頃の製作品)
(「ほう」の木による製作工程)