三春の歴史-034/52page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

4)城下町の寺院と神社

江戸時代には「寺院法度」がだされて、江戸幕府が寺院を支配するしくみとなりました。
三春の城下町には、たくさんの寺院がありましたが、今は、田村氏のぼだい寺であった福聚寺、秋田氏のぼだい寺である高乾院、龍穏院のほか、天沢寺、州伝寺、光岩寺、紫雲寺、真照寺、法華寺、法蔵寺、光善寺などの寺院があり、いずれも由緒ある寺とされています。
三春藩の領地には、このほか90のお寺がありました。

○高乾院

藩主秋田氏の一家代々を供養するぼだい寺として、秋田から宍戸(茨城県友部町)をへて、三春町に移されたお寺です。
江戸時代には学問寺として知られ、全国から修行僧が集まりました。
本堂は大正9年にとりこわされて、仮本堂が建てられていますが、まわりに、大きな土台石や手洗いばちが残されていて、当時のようすがしのばれます。
石だんをのぼりつけた高いところに、秋田氏のお墓があります。

○寵穏院

高乾院とともに、宍戸から三春城下に移された秋田氏のぼだい寺です。
現在の建物は、天明の大火によって焼けたあと、再建されたものです。本堂の奥に秋田氏の尊霊塔があります。

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は三春町教育委員会に帰属します。
三春町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。