三春の歴史-039/52page

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上もかかりました。
三春からは、木材や石材、たばこなども運ばれました。
この馬車鉄道は、大正4年(1915年)には廃止になりました。
それは、大正3年に、平郡線が三春と郡山間に開通したからです。
大正6年(1917年)に平郡線は全線開通し、今の磐越東線と呼ばれるようになりました。

(3)太平洋戦争と三春の生活(昭和時代)

太平洋戦争は、昭和16年(1941年)に始まりましたが、戦争による人々の苦しい生活は、昭和6年(1931年)の満州事変以来続いていました。
戦争が始まってからは、食料や衣料品などの生活物資が不足して、苦しい生活が続きました。砂糖やマッチ、木炭、衣料品などが切ぷ制となり、ほしい品物を買うときは、商店に切ぷを出して切ってもらい、買った品物に応じて点数を切り取ってもらうしくみになりました。
ほしい品物があっても、切ぷがなければ買えなくなりました。
食料は不足して、配給制になりました。
昭和16年と20年は、夏の気温が低いだけでなく、台風や大雨によって農作物なんがあまり取れず、三春町はますます食料難になりました。
そのころは、供出という割り当てがあって、米や麦、いも類だけでなく、金属やボロ(もめん)なども出したため、農家の人たちの生活も大変苦しくなりました。
昭和19年(1944年)から20年にわたって、三春町は、東京からの学童そかいを約240名受け入れて、お寺や旅館に分けてとめ、勉強や生活の世話をしました。
太平洋戦争は昭和20年に終わりましたが、食料難はずっと続き、米のかわりにおからや乾パン、じゃがいもなどが配給されました。

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