常葉町町勢要覧 -006/026page

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町の歴史

相馬街道を行き交う人が、足を休めた宿場町。
常葉の里は古い歴史を積み重ねてきました。

成願寺南無太子立像

[成願寺南無太子立像]
鎌倉時代末期から南北朝鮮次代の作品で、常葉町最古の木造の立像です。運慶派の円西作ともいわれ 聖徳太子の童子のときの姿を表しています。


絵松神社社殿

[絵松神社社殿]
永万元年(1165年)分霊、建徳3年(1372年)創立、延2年(1749年)寺院に転向し洞雲山絵松寺と 改称したと伝えられており、明治12年(1879年)神仏分離の際には、再び神社(村社)として 登録されている。現在の拝殿は、18世紀後半ないし19世紀始めぐらいの建立と推測されています。 また、神殿には江戸中期作の絵馬10面が収められています。


子松三匹獅子舞

[子松三匹獅子舞]
明徳3年(1932年)、赤松越前守が常葉を領して子松神社を改築した際、その遷宮の祭りに奉納されたのが 始まりとされます。毎年3月と10月の祭礼には悪魔払い五穀豊穣の願いを込めて、新興の先導として 8歳から11歳の男の子による奉舞が行われます。


三界萬霊等

[三界萬霊等]
文化13年(1816年)、当時の三春藩領主・秋田孝季公が天明の大飢饉で亡くなった 1500余人の 領民の33年忌に供養として建立したものです。延べ1600人が20日かけて運搬、領内の中央、三春街道 沿のこの地に建てられました。


 常葉町には先人たちの足跡もたくさん残されています。町内から数多く出土する石器や土器などは、 8千年前からこの地に居住者がいたことを示しています。また、古代延暦年間に坂上田村麻呂によって 創建されたと伝えられる「子松神社」は、当時ここに発達した集落があったことの証です。 相馬街道の宿場町として栄えたこの地にはまた、多くの人々が行き来していました。かつての 街道沿いの道標や飢饉で餓死した人の霊を供養するために建てられた石塔などが、その名残を 感じさせてくれます。現在は人々の憩いの場として親しまれている舘公園にはかつて常盤城がそびえ 、歴史の舞台となりました。他にも有形・無形の史跡や文化財、民俗芸能が数多く残され、町の随所に 歴史の香りが漂う常葉町は、歴史のロマンあふれる心のふるさとでもあります。



道標

[道標]
天明の大飢饉で餓死した村人の霊を供養するためと、旅人の道しるべにと天明8年に立てられた道標です。 正面頭部には梵字「阿弥陀如来」、その下に「念仏供養」「左ハにい町道」「右ハすか川道」と刻まれ ています。


青面金剛尊(庚申塔)

[青面金剛尊(庚申塔)]
腕が6本ある怪異な尊像は、人名を司る庚申と悪魔を追い払う帝釈点の使者・青金剛が混同したものと 言われています。


民俗資料館

[民俗資料館]
常葉のこの地に古くから存在する民家(築100年以上)をそのままの姿で保存したもので、内部にはこの 地での古くからの生活や後世に伝えるべく、様々な生活用品や書物等を保存、一般公開しています。


絵馬(赤壁の戦い)

[絵馬(赤壁の戦い)]
子松神社に天保12年(1841年)奉納された、石井耕雲の筆による絵馬。耕雲は文化3年(1806年) 西向に生まれた画人で、山、水、花、馬、人物、特に歴史面に長じていました。



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常葉町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。