白河市文化財パンフレット 谷津田川流域水車跡群 発掘調査概要 - 002/020page

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1.江戸時代

 絵図に描かれた江戸時代の谷津田川です。川沿いには「水車」の文字が見えます。絵図と同じ時代の『白河風土記』には、「此川ノ上下水脈ヲ分チテ水車ヲ造ル。其数四十三軒」ともあります。「寒晒」の地には菓子の原料である寒晒粉(白玉粉)を作る、白河藩の寒晒御役所がありました。

 日本国内では、水車が一般に普及したのは江戸時代の中頃のことと言われています。谷津田川にもこの頃の記録が残り、「水車由来」(天保三(1833)年)によれば、享保元(1716)年、寒晒御役所地内に水車を建てたとあります。これは谷津田川の水車の始まりを示す記録のうちで現在最も古いものです。

 水車は水力の利用により、人が初めて生み出した動力です。それまで中心であった人や動物の力よりも、より早く効率的に作業を行うことができました。水車の普及には生産や消費が増え、効率を求め始めた時代の要請があったと考えられます。

「水車」と「寒晒」
「水車」と「寒晒」

『白河御城下絵図』抜粋 
『白河御城下絵図』抜粋 文化五(1808)年


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