白河市文化財パンフレット 谷津田川流域水車跡群 発掘調査概要 - 003/020page
2.明治時代
旧陸軍が作った地図に描かれた、明治時代の谷津田川です。川沿いにはたくさんの水車のマークが見えます。
蒸気機関の普及が充分でなかった明治時代の前半には、水車の動力は工業用動力の主力として重要とされていました。
この時代に旧陸軍が軍事的な利用を目的として作った徴発用台帳には、水車場の数が記されています。これによれば、旧白河町の水車場は、明治12年に64軒(『第三回共武政表』)、同16年に65軒(『明治十六年徴発物件一覧表』)とあります。この数は、集落別の分布の上では、全国的に見ても多いものです。
白河に水車が多く作られ、中でも精米の水車が多かった理由には、環境に恵まれていたことと、米が主要な出荷製品であったこと、一度にたくさんの白米を必要とする酒造が盛んだったことなどが要因と考えられます。