西郷村社会科副読本 DATA BOOK-058/147page

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折口の火伏観音と三十三観音
(別名つぶ観音)
 甲子街道に沿う折口新田村は近世中期(延宝年中)に開かれ、会津への間道の宿場として栄えた。
 村のはずれ、追原と甲子の追分(おいわけ)の西に、観音山と呼ばれる小高い山があり、山据に古い観音堂が立つ。
 昔、村に火事があった時のこと、火は地を走り、まさにお堂を包まんとしていた。その時、田圃のたにし(「つぶ」という)が一せいにはいあがり、お堂の屋根・壁・柱などに張り付き、火難を避けたと伝えられる。村人は、このことから観音堂を「つぶ観音」とも呼び、今も村のたにしには尻がないという。
 お堂の裏の山腹には、大正年間(1912〜1926)折口の信仰深い人々によって勧請された33基の石彫りの観音が立つ。
西郷村の新名所
雪割橋と雪割渓谷
 すぐれた景観を有する西郷村の自然は、際だった様々な地形と豊かな緑と水からなっており、四季折々それぞれに美しい。
 中でも雪割渓谷は両岸がほぼ垂直に切り立つた絶壁からなる深い谷で谷底まで約45メートルある。
 現在の雪割橋は、それまでの吊り橋に代わり昭和32年架けられ(長82m、巾4m)見事に周りの風景にマッチし、西郷の新名所となっている。
田土ケ入の水芭蕉
 阿武隈川は西郷村を西から東に向って流れ、その他の支流も東に向って流れている。この川の流れに浴って、低湿な谷が走っているが、そのいくつかに春の訪れを告げる可憐な水芭蕉の自生地が、昭和30年代まではごく当たり前に見られたが、今ではここ田土ケ入にしか残されていない。
 ○見頃、毎年4月中旬〜4月下旬
6.大字鶴生
美しい伝説の村々
鶴生(つりゅう)と羽太(はぶと)の地名由来
 羽太と天栄村境の途中に険しい坂がある。その昔、手綱番と称され、難所に数えられていた。南側の谷を千歳川、北には笹原川が流れ、阿武隈川に注いでいる。
 いつのころか、千歳川の上流に住む鶴が2羽の子を産み、愛しみ育てていた。しかし、日たてど羽も生えずただ衰えるばかりで親鶴は大へん心配した。ある日、住み場所を代えてはと、子鶴を笹原の池に伴った。しばらくして、子鶴は丈夫になり羽もそろったので親鶴は大いに喜び、子鶴を連れて手綱番の沼へ飛び去ったという。
 人々はこの鶴の住みついた沼を鶴沼、川を千歳川、下流の村を鶴生、羽の生えた村を羽太と呼ぶようになったと伝えられる。
白河七薬師のひとつ
鶴生の穴薬師
 阿武隈川の支流千歳川沿い、北側の山腹に技垂桜を前にして岩穴が2ある。鶴生の穴薬師と称され、白河七薬師のひとつに数えられる。
 洞穴のひとつは薬師の鎮座、他のひとつは観音の鎮座である。薬師は、鶴生村東福寺のご本尊、観音は真船村(川向の村)医王寺のご本尊で弘法大師の作と伝えられ、両仏とも霊験あらたかな秘仏とされ、容易に開扉することなく、縁日のみこれを洞穴に移すという。
 この薬師は大同年間(806〜814)漁夫が千歳川より釣り上げたものとい

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