西郷村社会科副読本 DATA BOOK-062/147page
鏡沼の伝説
昔、会津南倉沢郷に熊撃ちの名人で、大蔵なる猟師がいた。ある日、大蔵は甲子の山へ熊撃ちの途中、鏡沼で怪しき美女に出会い、鉄砲でこれを撃った。たちまち大山鳴動、一天にわかにかき曇ってしまった。大蔵大いに驚き、ほうほうの体で逃げ帰ったが、物の怪に取りつかれたのか、間もなく死んでしまったと伝えられる。
これと同じ伝説が会津にも残る。なお『白河風土記』天の巻の鶴生の項に大倉山として次のように書かれている。
村より申酉の方七里余にあり、高さ168丈、麓は山続きなり、2つぼっちの南に並ぶ山の西北に鏡沼というあり、大きさ300間ばかり、昔大蛇の住みけるが、会津南山南倉沢村の猟夫大倉某という者熊を撃たんとてこの辺を通りしに、一女の艶なるに逢えり、大倉甚だ怪しく思いで鉄砲にて撃ちければ、忽ち風雨起こり、岩嶽鳴動して沼の水血をなしければ、大倉も驚きて村に帰りて死したりという、彼女は大蛇の化したるにてありしとなり、よってこの山を大倉山という、今はその沼のありし所分明ならず、年代の久しきに水かれ、木茂りて林となりにしやおぼつかなし
剣桂(けんかつら)
甲子道の奥に、樹令300年を越すと思われる双幹(そうかん)の桂(かつら)がある。
昔、ここに鬼神が現れ、路行く人々を苦しめたので、時の城主松平定信は、剣をもってこれに鬼神を封じ込めたという。
後年、この桂の大木は剣桂と呼ばれ、神霊の宿るご神木として杣人(そまびと)や旅人の厚い信仰を集めた。
高さ 35m 目通り 6mと5mの双幹
技張 25m
高清水の松
甲子道は、昔日の面影もないほどに整備されている。高清水は街道一の難所で街道を少し入ったところに一脈の湧泉があるところからその名が起こるという。
このかたわらに昔茶屋があり、駄菓子や果物などを商っていた。そのころ、高清水の松は名もなき松であったが、一本よく樵斧を免がれ今に残った。
年月、風雪にきたえたその風姿は力強く優雅である。
樹令 約200年 目通 4m
樹高 20m 技張 18m