中島村村勢要覧 -013/017page
History
歴史あふれる自然に息づく歴史。
ともに刻む、伝える。汗かき地蔵
代畑地区の 地蔵堂に安置 されている高 さ170センチ ほどの石仏 で、背部に建 武二年と鮮やかに建立年が深刻されて います。伝承によれば、古来、事変の起 こらんとするとき、この石仏の五体に汗 を流すといわれ、奥州汗かき地蔵尊とし て江戸時代末期まで参詣者をなしたと 伝えられています。
石仏群
平安時代に構築された滑津館跡は、古 墳時代に造られた豪族たちの萎所であ ったといわれ、城館のゆえんを物語るよ うに現在は滑津字御城という地名とな っています。
この御城遺跡の崖下には、村指定文化 財の「汗かき地蔵」をはじめ、十数基の 板碑(石造供養塔婆)があり、また数百 メートル離れた松崎地区入り口には多 くの阿弥陀磨崖仏群があります。
これらは、鎌倉時代中期から南北朝時 代の天台宗浄土信仰の広まりとも考え られています。
鷹ノ図
中島村を流れる阿武隈川が松崎地区 で大きく屈曲するところの対岸に約十 数メートルの崖壁があり、そこに白亜で 措いたような飛鷹の画をみることがで きます。
「水清き 阿武隈川の 流れをも
とどめてもみん 鷹の図の山」と松平定信公は阿武隈川の下流「鷹の 図」の名勝を「八畳敷の石」の上で詠ん だとされています。
〜HISTORY OF NAKAJIMA〜 昭和30年 滑津村、吉子川村、町村合併促進法に
より合併。中島村誕生昭和61年 公営住宅整備(二ツ山団地)着手
(〜昭和62年度)
農村情報連絡施設(防災無線)事業着手
(〜昭和62年度)昭和35年 新農村建設事業により区画整理開始 昭和38年 現役場庁舎完成
農業構造改善事業指定(529ha)昭和62年 中島勤労者体育センター開館 昭和40年 吉子川小学校校舎改築 昭和63年 公営住宅整備(御蔵場団地)着手
(〜平成元年度)昭和41年 滑津川小学校校舎改築 昭和43年 KKジュン工場進出 平成元年 吉子川小学校、豪州ヒルズバラ小学校
と姉妹校提携
農業集落排水事業(滑津原地区)着手
(〜平成6年度)昭和44年 小中学校学校給食開始 昭和45年 滑津川小学校東校舎・西校舎新築 昭和46年 中島村章制定
中島村立中島幼稚園開園
吉子川小学校北校舎新築平成2年 滑津小学校、豪州チャールズタウン
小学校と姉妹校提携
中島中学校、豪州ホワイトブリッジハイ
スクールと姉妹校提携昭和47年 中央公民館開館 昭和48年 農村総合整備モデル地区指定
中島村振興計画策定
(昭和48年度〜昭和56年度)平成4年 農業集落排水事業(滑津地区)着手
(〜平成8年度)昭和52年 村内水道(営農飲雑用水)完成
村の木を「赤松」、村の花を「サツキ」
に決定平成5年 浦原ニュータウン宅地造成工事完成
中島村第3次総合振興計画策定平成6年 「東京なかじま会」創立
総合福祉センター「ふれあいの郷」開館
水耕野菜栽培開始昭和54年 中島中学校校舎改築 昭和55年 原山分譲地宅地造成事業(44区画)
農村環境改善センター開館平成7年 農業集落排水事業(小針松崎地区)着手
(〜平成11年度)
中島保育所開所昭和56年 国土調査事業
(昭和56年度〜昭和61年度まで)
中島中学校創立30周年記念式典平成8年 第1回中島村いきいきフェスタ開催
農村総合整備事業(緊急防災型)指定昭和57年 中島村総合振興第2次基本計画策定
(昭和57年度〜平成4年度)平成9年 童里夢公園なかじま開園(A=20ha)
音楽プロデューサー小室哲哉氏来村
農業集落排水事業(町畑地区)着手
(〜平成11年度)昭和60年 村合併30周年記念式典
公営住宅整備(原山団地)着手(〜平成3年)
農業集落排水事業(吉子川地区)着手
(〜平成元年度)平成10年 中島村コミュニティセンター完成