矢吹町町制施行百周年記念要覧 -010/046page
昭和12年 矢吹が原に陸軍飛行場が開場
敗戦と共に その役割を終える矢吹飛行場
昭和に入っても矢吹が原は、 国営猟区として草を刈り、 簡単な整地がなされただけで そのほとんどが原野のまま残って いました。
昭和三年、航空思想普及と宣 伝を図る新聞社の企画により、 九月二十三日、矢吹が原に飛好 機が来訪しました。当時、飛好 機はとても珍しいものであったため 近郷近在の人々が五万人も見学 に来ました。その後、現在の生 吹町役場の西北真に仮飛行場が 設けられ、昭和七年九月十八日 十九日には愛国福島号が着陸− ました。また、昭和九年十月一 十七日には霞ケ浦から海軍偵察 機三機が、翌二十八日には福島 県民が献納した海軍機報国福島 号など四機が命名式と披露のみ めに着陸しました。
こうしたことから、矢吹が原 の平坦な土地は陸軍飛行場の候 補地として注目され、昭和十二 年五月二十三日には熊谷陸軍飛 行学校矢吹分校として華々しく 開場しました。
戦局が一層厳しさを増す中、 矢吹教育隊と名称を改め、昭和 十人年には学徒動員令により学 業半ばにした学生が特別操縦見 習士官として入校してきました。 彼らは消耗を続けるパイロットの 促成補充を目的としたばかりで なく、戦争末期には爆弾を抱え
本土空襲はしだいに激しさを増し、飛行場は攻撃目標として 狙われました。昭和20年8月9日、10日の空襲により 矢吹飛行場は破壊され、飛行場としての機能を失いました。
矢吹飛行場跡記念碑 有志溺体「矢吹ふるさと塾」が元の在隊者、 関係者に呼びかけ記念碑建立委員会を設立し、 平成5年3月建立。