矢吹町町制施行百周年記念要覧 -011/046page

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昭和12年 矢吹が原に陸軍飛行場が開場
敗戦と共に その役割を終える

Yabukigahara Stories

矢吹が原の軌跡

敵に体当たりする特攻隊員と なる運命も担っていました。

 いよいよ俄烈を極める戦況のもと、 矢吹飛行場から特攻隊 「第八十 振武隊」 が飛びたちました。十 二名の若者は鹿児島県知覧基地 を経由し、昭和二十年四月二十 二日、沖縄の海へ散っています。

 昭和二十年になると、敗戦 が色濃くなり、本土空襲 は激しさを増し、飛行場は攻撃 目標として狙われました。こう したなか、同年八月九日、十日 の空襲により矢吹飛行場も破壊 され、飛行場としての機能を失 いました。昭和二十年八月十五日、 敗戟。陸軍の解体と共に、矢吹 飛行場はその短い歴史に幕を閉 じたのです。

報国福島号が着陸
昭和9年10月28日 報国福島号が着陸

矢吹が原に舞い降りた飛行機は人々の夢や希望のシンボルでした。
昭和12年、陸軍の飛行場として開場した矢吹飛行場。
しかし、次第に激しさを増す戦局は飛行場を悲しい結末へと導き、 敗戦とともに、矢吹飛行場は静かにその役割を終えました。

愛国福島号が着陸
昭和7年9月18日 愛国福島号が着陸近郷近在から5万人の見物人が集まった。


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