矢吹町町制施行百周年記念要覧 -012/046page

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幾多の苦難を重ねた公営開墾事業
昭和31年 羽鳥ダムがついに完成

国営開墾事業

 岩瀬・西白河地方の東部に 広がる矢吹が原。平坦な 地であるにもかかわらず隈戸川、 釈迦堂川などの河川は河床が低 いために、水流を眺めるだけで農 業などに利用することはできま せんでした。ここに暮らす人々に とって、農業用水の確保は最大の 課題であり、永い間の宿願でも あったのです。

 明治時代になってから、政 府の士族授産のための本 格的な開墾が始まり、矢吹が原 の十軒原に二戸、八幡原に三戸 の士族が入植しました。また、 矢吹が原には御料地があったため、 明治十三年には宮内庁開墾所が 六軒原(鏡石町)に開設され、 独自に開墾が進められることに なりましたが、用水の不足など で思うように進みませんでした。 明治十人年と三十年には大和久 村の星吉右衛門が矢吹が原への矢 疎水計画を国に陳情しましたが、 実現には至りませんでした。

 ようやく矢吹が原の開墾事業 が具体化したのは、昭和九年に 矢吹が原御料地の払い下げが決 定した後でした。昭和十一年に 矢吹が原開墾事業所、昭和十六 年に農林省矢吹原国営開墾事務 所が設置され、本格的な国営開 墾事業がスタートしました。し かし、太平洋戦争の勃発、敗戦 によって事業はまたも一時中止を

飛行場跡に入植当時の家
飛行場跡に入植当時の家(昭和35年頃)

昭和31年、つももに完成した羽鳥ダムは、 荒涼とした原野であった矢吹が原を豊かな田園地帯に変え、 そこに暮らす人々の生活に潤ももと豊かさを運びました。

和牛の導入
和牛の導入(昭和13年頃)


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