わたしたちの町 やぶき-092/113page

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戦後の開たく
矢吹が原は草原のつづく作物のとれない原野だったので、戦争中は飛行場が作られました。

矢吹飛行場
矢吹飛行場(昭和12年ごろ)
昭和11年(1936年)からふたたび入植者をぼしゅうし開たくが行われました。とくに戦後は戦地からかえった人や戦争で家をやかれた人、羽鳥からうつってきた人など、新しい土地を求めて農業をする人びとのために飛行場あとも分けあたえ、さかんに開たくが行われました。
矢吹が原開たく入植者
矢吹が原開たく入植者
矢吹が原開たく入植者
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このころの矢吹が原は、松林と原野、それに飛行場に残された長い滑走路。風がふくと、赤土がまきあげられ空が真っ赤になり先が見えなくなるありさまでした。

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