わたしたちの町 やぶき-093/113page
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開こんのようす
当時の開こんは今のようにブルトーザーやトラクターなどの機械もなく、唐ぐわをふるって、人力だけで、時にはひとかかえもある松の根をほりおこしながら根気づよくつづけられました。
また飛行場のあとにはいたるところにコンクリートの残がいがあり、とりのぞかなければなりませんでした。
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矢吹が原開こん地に初めて種をまく入植者たち
ようやく、開こんした畑に種をまいても、土地がやせ、肥料がないので、まいた種の量ほども作物がとれないこともありました。
食べ物は配給されましたが、量が少なく、食べるのにせい一ぱいの生活でした。空腹と栄養失調になやまされながら、それでもくわをふるいました。
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矢吹が原飛行場跡地に入植した当時の家。
現在はない。(昭和35年ごろ)
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開たく記念ひ
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