社会科学習資料 第3・4学年 わたしたちの村 ひがし - 069/106page

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 7月15日の天王祭の奉(ほう)のう太こで大竹地区に伝わっています。
虫追(お)い太こともいわれています。

●五合飯(ごごうめし)
 下野出島(しものでじま)地区の青年(せいねん)(15才〜25才)が24日の朝、米5合をもちより、これをたいて木のわんにもり、昼(ひる)1度にたべる5合(ごう)めしのことをいうのです。

●二夜三日(にやさんにち)の念仏(ねんぶつ)
 毎年8月31日、9月1日、2日と210日の厄日(やくび)をはさむ3日2晩(ばん)、長伝寺に集まり、念仏(ほとけ)、やじゅずくりを行って、あらしがこぬようおいのりをる行事(ぎょうじ)です。

○むかしの道具や用具

 いま学校では、授業の始まる合図(あいず)はチャイムですが、むかしは拍子木(ひょうしぎ)や鐘(かね)、柄(え)のついた鈴(すず)などが使われていました。

 また明治のころの小学生の服(ふく)そうは木綿(もめん)の着物(きもの)にぞうりばきがふつうで、雨の時はげたばき、雪の日には遠い人はうすぐつ(わらじにわらのつまがけをつけたようなもの)をはいて通学したのです。

ランプ 2年生以上は自分たちで教室やろうかのぞうきんがけをしましたが、今のように水道はありません。深(ふか)い井戸(いど)から2つのおけが長いくさりづなにつながれて、かわりばんこに上げ下げして水を汲(く)みあげたのです。

 その後昭和にはいるといどにかわって、木でつくられたポンプ、それから金ぞくせいのポンプになり、昭和30年ごろから電気の力で水を汲(く)みあげるようになって、今の水道へと発展してきたのです。

 あかりについて調べてみましょう。むかし江戸時代(えどじだい)にはあんどんといって木で作ったわくに紙をはり、中になたね油(あぶら)をおいて火をともした道具が室内(しつない)にそ


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