社会科学習資料 第3・4学年 わたしたちの村 ひがし - 070/106page

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なえられたのです。絵はランプといって、明治になってあんどんにかわってでてきたあかりです。これは石油(せきゆ)を糸にすいこませてともすもので電(でん)灯がいっぱんに使われるまで用いられました。

 東村に電灯(でんとう)がついたのは大正4年(1915)、かぶ内、深仁井田(ふかにいだ)、釜子についたのがはじまりです。それから、3年ほどおくれて小野田にも電灯がともりました。

 つぎに農業のしかたについて調べてみましょう。

 今の農業のしかたは、人力(じんりょく)、畜力(ちくりょく)から動力(どうりょく)にかわってきています。

 米つくりをとってみても、種まきから取り入れまでの作業に使う道具やきかいは大へんなかわりようです。つぎにむかし使われた道具やきかいにはどんなものがあったか、家の人にもきいてうつりかわりを考えてみましょう。

―馬をつかって田畑をたがやしたもの―
馬耕
馬  耕
荷ぐら
荷ぐら

 馬耕(ばこう)が使われるようになったのは明治20年をすぎてからです。また馬はにぐらをつけ、荷つけなわで荷物(にもつ)をしばって運びました。米俵(こめだわら)は両側(りょうがわ)に1俵ずつで2俵を1駄(だ)といい、稲(いね)、草、しばなどは3わずつ左右にふりわけ6わを、木炭はふつうかたがわたて2俵の下に1俵をよこにつけ、6俵を1駄といったそうです。
 せんばは稲(いね)やむぎのだっこく用の農具で、はば1.5cm、長さ40cmの鉄(てつ)


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