社会資料第3・4学年 わたしたちの村たいしん-048/105page

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(1)学校のうつりかわり
 さむらいが世の中をおさめていたころには、寺子屋があって、民家やお寺で、神主さんやお坊さんに、習字やそろばんなどを習いましたが、ほんの少しの人しか行くことができませんでした。
 大信村の学校は、およそ120年ぐらい前につくられました。
 さいしょは、お寺や民家(ふつうの家)をかりて学校を開きました。
 お寺をかりた学校は、仏ぞうが見えないようにしたり、黒板をおいたりして、本堂を教室らしくしたもので、机もそまつなものでした。学用品や教具は今のようにそろっていませんでした。本も毛筆で書かれたものをつかい、いくつもの学年がいっしょに勉強していました。また、学校ができても、家がまずしかったり、しごとの手つだいがいそがしいため、学校に行けない人や、赤んぼうをせおって学校に来る人もありました。
 その後、新しい学校の制度になりました。はじめのうちは、小学校は4年まで(尋常科)でしたが、のちに6年まで義務教育がのばされ高等科の制度もできました。卒業してから、中学校(5年)やせん門学校に進むこともできるようになりました。
 今のような、小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年という学校のしくみになったのは、1947年(昭和22年)からです。


はじめのころの学校
信夫一小 ・中新城のお寺 ……変則の学校 (1873年)
・中新城のお寺 ……新城小学校 (1874年)
・町屋の民家 ……町屋小学校
・増見の民家 ……増見小学校  
・中新城のお寺・民家 ……新城尋常小学校 (1887年)
・今のところへ新校舎 ……信夫尋常高等小学校 (1911年)
信夫二小 ・飯土用の民家 ……信夫小学校飯土用分教場 (1890年)
・今のところへ新校舎 ……信夫尋常高等小学校外面分教場 (1911年)
大屋小(隈戸小) ・上小屋の民家 ……隈戸小学校 (1874年)
・下小屋樋ノロのお寺 ……下小屋小学校 (1876年)
・下小屋西宿本校舎 ……下小屋尋常小学校 (1887年)
隈戸十日市の民家 ……下小屋尋常小学校分校舎
・今のところへ新校舎 ……下小屋尋常小学校 (1907年)

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