社会資料第3・4学年 わたしたちの村たいしん-101/105page
しかし、みんなが力を合わせてがんばったのは、早くりっぱな米を作りたいという願いがあったからです。
およそ3年かかって、ようやく自分たちが食べるだけの米がみのったときは、涙を流して喜び合いました。
そして、越後にのこっていた人たちをよびよせ、家ぞくいっしょに住めるようになってきました。一戸、二戸とうつり住む人の数もふえてきて、一つの地区がたん生したのです。
越後の国からやって来て開こんしたから、「越後開こん」とよばれたのですが、後になって、地区の人々は「開進」という名前をつけました。これからも、開き進むという意味と、後の時代の人たちに、努力のたいせつさを知ってもらうための名前なのだそうです。
★開進地区の中心部にたてられた記念碑
★くわで土を起こし、もっこではこんでいるようす
★越後の国から白河へ