泉崎の文化財-009/27page

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●出土した屋根瓦
複弁蓮華文
複弁蓮華文 (関和久遺跡出土)
●屋根瓦の名称
関和久官衙遺跡の瓦
関和久官衙遺跡の瓦
軒丸瓦:丸瓦の先端に取りつけ、軒先を種々の文様で飾った。
軒平瓦:平瓦の先端に文様をつけ軒先を飾った。
●出土した焼籾(やきもみ)
炭化米
炭化米
 掘り込み地業を伴う礎石建物は瓦茸であることは、1700余点の瓦片の出土によって裏付けられます。
 このような倉は、長期備蓄用の不動倉とみることができます。
 ここからの出土焼籾の鑑定結果、米粒のまわりを糠(ぬか)が厚く覆い、超古米の状態にあったことからもわかります。
 17郷から成る白河郡には、規定によって大領(だいりょう)など上級官領6人、下級職員94人の他、徴税人が郷別に7人(計119人)がいました。律令政治の出先機関として、かれらが班田農民から1反歩当り(現在の360坪)2束2把(1束は現在の4合)の租をはじめとする徴税の徹底に従事し、その拠点が、郡衙の正倉院なのであります。
 出挙の際の稲の貸与、徴収には頴稲(えいとう)が用いられ、利息にあたる利稲は役所の諸経費にあてられた。穀倉は長期保存のため高床なのに、屋は短期に出し入れをするために土間の屋をあてていました。
●大化元年(645年)の律令国家
国…全国66、福島県は陸奥の国、国賀(こくが)は多賀城
郡…福島県城には、白河・岩瀬・安積・信夫・会津など10郡が置かれ、白河郡は、陸奥・出羽・両国では唯一の大郡であった。(白河郡は、今日の行政区では、白河市・西白河郡・東白河郡・石川郡の1市6町11村である。)この郡を統括する責任者を「大領」と呼んだ。
郷…白河郡には、関平村・泉崎村・北平山村・踏瀬村・太田川村など17の郷があり、白河郡衙はそれを統括した。
 以上は、「図説福島の歴史」と一部福島県教育委員会発行「関和久遺跡」より収録しました。
第二次発掘
第二次発掘

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