泉崎の文化財-014/27page

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烏峠稲荷神社(からすとうげいなりじんじゃ)にまつわる伝説 (梗概)
 52代嵯峨天皇の弘仁11年藤原俊仁公は勅命を奉じて、下野国篠井郷の蔵置山に住む凶賊蔵安蔵宗を征討のため下向した。しかし戦いは利あらず一旦塩原郡高原に退いたが賊勢は意外に強くさらに後退して白川郡泉崎の烏嶺に拠った。ここは峠といわれているが孤立した小山であるから追尾した賊軍に四方を囲まれ十に一つの勝算もなく難渋をきわめた。勇猛の俊仁公も「わが命運もここに尽きるか」と、はるかに京の方を望んで覚悟のほぞをきめた。その時、西の方から一羽のカラスが一声高く啼いて何やらキラキラと光るものを落して去った。これが目も眩ゆいばかりの金の幣帛でそれとばかり家来達がかけ寄ってみると、どこから現われたか一匹の白狐が素早く幣帛を咬えて草むらへ消えた。草むらをかきわけ白狐を追うと山上の小さな祠あたりで姿はこつ然と消えた。俊仁公は「あのカラスこそわが氏神、大和国鳥ケ嶺勝手稲荷大明神のお使いに違いない。皆の者、戦いは勝った」と勇気百倍。小祠に鳥ケ嶺大神をまつり凶賊降伏を祈願し、死を決して敵陣に攻めこみついに乱戦の末俊仁が勝利を治めた。京都に凱旋した俊仁公はこの旨を天皇に後奏、その後、奥州巡視の命を受けて再び泉崎を訪れ、ここに立派な社殿を新築した。
本殿彫刻
本殿彫刻
鳥峠稲荷神社正面
鳥峠稲荷神社正面
弘法大師修業の地
弘法大師修業の地

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