棚倉町勢要覧 -016/034page
Town Features5歴史
久慈川の流域に発達した棚倉では、一万年以上前の旧石器時代から人々が生活を営んでいました。町内各地の遺跡から 多数出土した石器や土器などが、太古の暮らしを物語ります。
伝承によれば、町のおこりは伝説の神々が活躍した神話の時代に遡ります。成務(せいむ)天皇(七〇一〜七五六)のころ、 大和朝廷より白河の国造(くにのみやつこ)(地方長官)として赴任した塩伊乃己自直命(しおいのこじのあたいのみこと)が、 この地に陸水田を拓き、稲作をもたらしました。飯沼(現在の大字福井字井掘)の地に、豊宇気比売(とようけひめ)の神 (別名、倉稲魂命(うがのみたまのみこと))という穀物の神を祀りました。これが、白蛇をご神体とする町の鎮守の宇迦神社 です。この時に命(みこと)が建てた種籾を収める「種倉(たねぐら)」が、町名の語源ともいわれています。
ところで、福島県には日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とする神社が多く存在します。尊(みこと)の東国征伐伝説の 北限が、原町市太田の多珂と考えられているためで、伝説も数多く伝えられています。
棚倉にある馬場都都古和氣神社と八槻都々古別神社も、この地方土着の神の味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)と ともに日本武尊を祀っています。馬場都都古和氣神社の縁起によると、この地を訪れた尊(みこと)が、表郷村の建鉾山 (都々古山)に味耜高彦根命を祀ったのが始まりで、後に坂上田村麻呂が、尊(みこと)を合祀したといわれています。 八槻都々古別神社に残る「陸奥風土記」逸文には、尊(みこと)の東征伝説を福島の地名起源に関する逸話が記され、 その重要性に注目が集まっています。
馬場、八槻の両神社の境内には、杉の巨木がうっそうと生い茂り、はるかいにしえのロマンを偲ばせます。
棚倉のおこりと日本武尊伝説
神話の時代におこり幾多の戦いを経て発展してきた歴史の街、棚倉。
関東と奥州のはざまで
関東と奥州という異なった文化圏の境界に位置する棚倉は、古くから文化や交通の要衝として発展してきましたが、それ故に、 戦火の絶えない地でした。
その舞台となったのが赤館です。棚倉城が築かれるまでは、現在の赤館公園がある丘陵地に館が築かれ、この地を治めていました。 館の建築時期は未詳ですが、建武年間(一三三四〜三七)ごろに赤館伊賀次郎が築城したとも伝えられています。
鎌倉時代以降、棚倉は、