棚倉町勢要覧 -019/034page
清らかな水を湛える、城下町のルネサンス<
幾多の城主が去来した棚倉城
町の中心にあって、城下町の静かなたたずまいを今に伝える棚倉城跡は、本丸跡を土塁の外側に内壕がめぐり、 春には五〇〇本もの桜が他にさきがけていっせいに咲き誇ります。
棚倉城は、別名「亀ケ城」とも呼ばれています。「お濠に棲む大亀が水面に姿を見せると、お殿様が国替えされる」と 言い伝えられるほど、藩主の変遷が著しかったという逸話が残っています。
初代棚倉城主になったのは、二代目藩主の丹羽長重でした。寛永二年(一六二五)この地にあった近津明神(馬場都都古和氣 神社)を遷座し、その跡地に棚倉城の築城を開始しました。 しかし、完成を目前に白川へ移封されたため、築城は三代目藩主の内藤信照に引き継がれました。それから戊辰戦争で落城する までの二四〇余年の間に、この城に去来した城主は八家一六代を数えます。
流転の城主たちを見つめてきた棚倉城も、藩政時代の終焉とともに姿を消し、明治という新しい時代へと移っていったのです。
「亀ケ城」とも呼ばれた棚倉藩六万石の政庁。 過ぎ去りし日々の面影を、お壕の水に映し、 城下の変遷を見守ってきた棚倉城は、 戊辰戦争によって、二四〇余年の歴史と閉じ、 新たな時代へと進んでいきました。