塙町の文化財 -011/105page
原始
塙町の原始時代は、計画的な発掘調査がされていない現状では正確を期し得ないが、各遺跡から採取された縄文土器には東北的性格を持ち、関東の影響をも抱合しており、新しい関東地域からの文化が東北に搬入される道として、縄文時代以降踏み固められた道があったことを示すものである。
昭和四十八年十二月、湯岐羽原谷地内で町道前田・上石井線の道路拡張工事中に、偶然土器が発見された。厚さ三〇センチの耕作土、その下六〇センチ程の有機質黒色土、道路面まで約一四〇センチは黄色粘土層から出土したものである。東側の断面には住居跡が画然と切り込まれた遺構が見られた。
この土器は、斜めの縄文を肩部より胴部全体に施文し、肩部より口縁部がわずかに直立して外反、底部一杯に焼成後の穿孔されたものと櫛目沈線の施文が施され、退化した姿であるが、釣手部の突起に蛇の文様とも考えられるものが見られる。
このほか、町内では久慈川を望む台宿や伊香の台地などで多数の縄文土器片や石器類が出土している。
西河内
(1)西河内太鼓館跡 (2)竜沢寺[木造阿弥陀如来立像・石造板碑供養塔・磬子・古鏡] (3)八幡神社 (4)貝化石層
東河内
(1)東河内遺跡 (2)海蔵寺[木造開山任山良運坐像・涅槃図] (3)熊野神社
常世北野
(1)徳林寺[木造薬師如来坐像・木造十一面観音菩薩坐像・仁王像・殿鐘] (2)八幡神社 (3)八坂神社