塙町の文化財 -012/105page
古代
「日本後紀」の弘仁二年(八一一)四月二十二日条に「廃陸奥国海道十駅更於通常陸道置長有高野二駅為告機急也」とある。「陸奥国の海道(浜通り)の一〇駅が廃止され、かわって常陸に通ずる久慈川沿いの道に長有・高野の二駅が設置された。機急を告げんがためにこの措置がとられた」とあるのによれば、陸奥国府多賀城への連絡は海道経由よりも長有・高野を経由する方が早かったことがうかがえる。
また「延喜式」に本町に関係する記述として「高野に駅馬二匹をそなえること」、承平五年(九三五)の「和名抄」に「常世」「高野」の郷名が見える。
昭和四十二年七月、山林を耕地に造成中、直刀二振りと鉄鏃、鉄斧が出土(大字伊香・高野里古墳)した。古代の塙には、既に貴重な副葬品を埋葬することのできる人がいたのである。
常世中野
(1)中野平館跡 (2)天照皇太神社 (3)八竜神社 (4)常世観音堂[木造如意輪観音菩薩坐像・観音収蔵用厨子・扁額] (5)道標
竹之内
(1)竹之内不動院[供養塔・碑石] (2)稲荷神社
板庭
(1)板庭銚子館跡 (2)厳島神社[木造弁財天立像]