塙町の文化財 -013/105page
中世
鎌倉期の領有関係は不詳であるが、南北朝以後は、文治五年(一一八九)の源頼朝の奥州合戦の恩賞により、結城朝光に白河などが与えられ、当地域もその所領となった。十六世紀に入ってからは、常陸佐竹氏の手が南から伸び、十六世紀末頃には、白河領全土が佐竹氏の勢力圏に編入される。この間、当町の主要な政治・軍事的拠点は羽黒館である。しかし白川氏・佐竹氏の本拠とはならず、当町 域を含む高野郷の中枢は棚倉赤館であった。中世文書に出てくる当町内の地名は伊香、西河内…などである。
鎌倉時代から室町時代にかけて、追善や供養などの目的で作られた板碑は当町内には少ない。塙町の石造供養塔婆は、佐竹氏の影響と常陸国の仏教傾向が強かったと考えなければならない。佐竹氏が鎌倉新仏教である臨済禅を受け入れて以来、これを保護し、流布している。古くから山岳修験の聖地とされた八溝信仰とも関わりがあり、鎌倉中期迄の供養塔婆が石川氏、白川氏と比較して少数であり、鎌倉末期から南北朝期にのみ限定されることは前述のような背景があったのである。
中塚
(1)中塚館の岡館跡 (2)於礼神社
田野作
(1)弘法塚 (2)八竜神社
山形
(1)大畑遺跡 (2)十殿神社 (3)近津神社 (4)八坂神社 (5)湯船観音堂[木造聖観音菩薩坐像・絵馬] (6)出羽神社 (7)熊野神社 (8)熊野神社 (9)熊野神社 (10)八竜神社