塙町の文化財 -015/105page
の一時期磐城平藩領となった村もあったが、慶応四年(一八六八)四月まで百四十余年間に、四五人の代官により支配された。代官所は慶応四年、奥羽鎮撫総督府が最後の代官多田銃三郎の退任願を認め、仙台藩に接収させたことにより終りを告げた。棚倉藩領の村々は、天明四年の支配替えのあった前記の村と、堀越、西河内、東河内、常世北野、湯船、山形、田代、大畑、前田、大蕨、湯岐、那倉、片貝の各村であった。
なお、太田資晴の移封後は上野国館林より松平武元が入封し、延享三年(一七四六)旧領館林に移封。.遠江国掛川より小笠原長恭が入封。長尭、長昌と在封し、文化十四年(一八一七)肥前国唐津に移封すると、遠江国浜松より井上正甫が入封。家督を継いだ正春が天保七年(一八三六)館林に移封となり、石見国浜田より松平康爵が入封。康圭、康泰、康英と四代にわたり在封し、慶応二年(一八六六)武蔵国川越に移封すると、白河より阿部正静が入封したが、同四年の戊辰戦争に際して奥羽列藩同盟に参加。同年六月二十四日奥羽征討軍の攻撃を受け棚倉城は落城。丹羽長重の棚倉城築城(寛永元年・一六ニ四)以来阿部氏まで八家一六代の歴史は幕を閉じた。
片貝
(1)十殿神社 (2)片貝小学校[門前碑石]
湯岐
(1)羽原谷地遺跡 (2)温泉鎮守八幡宮本殿 (3)湯岐阿弥陀堂[木造阿弥陀如来立像]
木野反
(1)熊野神社