塙町の文化財 -039/105page

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 構造は、頭から体まで一材で彫出する。内刳(うちぐり)は施さない。さらに結跏趺坐する脚部は、別に一材を矧いでいる。現在失われている両手及び袖口部は、それぞれ別に材を脚部材の上に矧いでいた。比較的単純な構造である。そして作風(さくふう)もまた、素朴なものである。体躯の造形は体の奥行が薄く、脚部とともに偏平な感じを受ける。衣の襞(ひだ)の彫出も浅く、直線的に処理されている。

 この像は、もと真名畑村荒屋の十王堂に安置されていたと伝える。十王像とともにまつり、地獄からの救済を祈ったものであろう。なおこの像の脚部裏に、「十王堂」「文治二□」「八月十□」などの墨書がみられる。文治二年(一一八六)などの年号が何を意味するのか明確ではないが、これらは後世に書かれたものであろう。

木造地蔵菩薩坐像
木造地蔵菩薩坐像

三、木造地蔵菩薩立像

木造地蔵菩薩立像
木造地蔵菩薩立像

江戸時代
石井家 大字真名畑字向猟師
 像高 三七・九p
一木造 彫眼 現状素地をあらわす

 円頂とし、柄衣は左肩を覆い右肩に少しかかる。両足先をそろえて立っている。現在、両手及び両足先を失っているが、各手には宝珠と錫杖を持っていたものと思われる。全体に磨滅しており、特に面部にそれが著しく、顔立など見分けがつかない。かろうじて円満なお顔の、輪郭がわかる程度である。

 両手首と両足先を矧寄(はぎよ)せるのみで、頭から体まで一材で彫出している。内刳(うちぐり)はない。前述の菊池家の地蔵菩薩像と同様、素朴な作風の像である。両肩より垂下する襟の線は直線的に処理され、彫りも浅い。また背面は何も刻まず、簡略な表現が目立つ。在地の仏師によってつくられたものと考えられる。

 この像は、石井家の地蔵堂の本尊である。この堂は八軒堂の一つといわれている。八軒堂とは、真名畑の開拓に八軒の家が入り、各戸が一堂を守ってきたことに由来するという。現在では、この像は、安産や子育などの信仰を集めている。


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