塙町の文化財 -040/105page

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四、木造地蔵菩薩坐像

木造地蔵菩薩坐像
木造地蔵菩薩坐像

江戸時代
真蔵寺 大字真名畑字折戸
 像高 三六・五cm
寄木造 玉眼嵌入 肉身部漆箔 衣部漆塗

 円頂にして髪際線(はっさいせん)をあらわす。左肩を覆い、右肩に少しかかる柄衣をつけ、左手に宝珠、右手に錫杖をとる。現在、錫杖を欠失する。地蔵菩薩の普通のお姿である。

 像根幹部の構造は、頭部を耳の後を通る線で前後に矧ぎ、襟の線で体躯に挿し込む。体躯は体側を通る線で前後に二材を矧ぎ、さらに両肩先の線で体側に各一材を矧いでいる。結跏趺坐する脚部は、横に一材を矧ぐ。複雑な構造を示しているようであるが、この時代の寄木造(よせぎづくり)の像では、普通に行われる木の寄せ方である。

 この像は、真蔵寺の本尊と伝える。真蔵寺は古い時代に建立されたといわれるが、江戸時代の初期に一時衰え、宥照法印巡良房により再興された。宥照は、天和三年(一六八三)に真蔵寺に入っている。その後、明治初年に廃寺となり、現在では一堂を残すのみである。この像は、青年のような顔貌をしており、整った作風を示す。しかし形式化した表現は否定できない。記録によれば、この像は宝永七年(一七一〇)に植田山前住法印宥焉とその弟子によって、衆生利益(しゅじょうりやく)のために造立されたものという。植田山は植田の常福寺(現廃寺)のことで、仏師は下野益子村の高田右近で、常福寺においてつくられている。

五、木造薬師如来立像

江戸時代
東浄寺 大字川上字薄久保
 像高 四八・三p
一木造 彫眼 彩色

 頭髪は肉髻(につけい)の正面を中心に、髪筋を渦状に巻いて彫出する。左肩を覆い右肩に少しかかる柄衣をつけ、左手垂下して薬壼(やつこ)をとり、右手は胸前にあげ五指をのばす。両足をそろえて蓮台(れんだい)上に立つ。


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