塙町の文化財 -042/105page
七、木造弘法大師坐像
江戸時代
東浄寺 大字川上字薄久保
像高 二四・0p
寄木造 玉眼嵌入 彩色真言宗を開いた、弘法大師空海の肖像である。真言宗の寺院には、しばしば安置される。左肩より袈裟(けさ)をかける。現在、両手首より先を欠失しているが、当初は左手に数珠(じゅず)、右手に金剛杵(こんごうしょ)をとっていたものと考えられる。
構造は頭部を首(くびほぞ)まで一材で彫出し、襟の線で体躯に挿し込む。そして頭頂より両頬を通る線で面部を矧ぎ、目に玉眼(ぎよくがん)をはめ込むが、両玉眼は欠失する。体躯は前後に二材を矧ぎ、さらに両肩先を通る線で体側 に各一材を矧ぐ。脚部は、横に一材を矧ぐ。
定型化した作風の像である。しかしこの像には、像内の空洞部に文書が納められている。この文書によって、この像の造立の経緯が知られるのである。この像は、棚倉領八樹村(現棚倉町八槻)出身で江戸に住んでいた玉屋庄兵衛という人が、諸天、父母などの恩に報いるために、享保十九年(一七三四)に造立し、郷里の寺院に納めたものである。玉屋庄兵衛の出身地は八槻村である。この像が当寺に伝わったのは、当寺の本寺が八槻村の覚乗院であり、当初は覚乗院に納められ、後にその末寺であるこの寺に移ったものと考えられる。
八、木造釈迦如来坐像
江戸時代
賢瑞院 大字川上字寺下
像高 六七・三cm
寄木造 玉眼嵌入 漆箔当寺の本堂本尊である。すでに形式化し、表現に固さがみられるが、螺髪(らはつ)を一粒一粒刻むなど、丁寧につくられている。左肩を