塙町の文化財 -043/105page
覆い右肩に少しかかる衲衣をつけ、両手は膝上で左右を組んで禅定印(ぜんじよういん)を結んで、結跏趺坐する。
構造は、頭、体幹部ともそれぞれ前後に二材を矧ぎ、頭部は三道下で体躯に挿し込んでいるようである。両肩先の線で体側に各一材を矧ぎ、脚部は横に一材を矧ぐ。
当寺の記録によれば、この像はもとの本尊が大きく破損したので、旧本尊にならって新たにつくられたものという。その時期は、瑞潭の代と記されている。月山瑞潭大和尚は、当寺の第七世で、宝永三年(一七〇六)にこの世を去っている。そうするとこの像は、遅くとも宝永三年までにはつくられたものと考えられる。このように記録などによりつくられた年代がおおよそ把握できるのは、その時代の基準的な作例となり、貴重である。江戸時代中期頃の作風がうかがえるであろう。
九、木造地蔵菩薩半跏像
南北朝時代
賢瑞院 大字川上字寺下
頂−左足下 四六・八p
寄木造 玉眼嵌入 彩色円頂。白毫相をあらわし、耳梁を環状とする。右肩、右腕に偏衫をかけ、腹前に裳の一部をあらわす。衲衣は左肩を覆い右腋下を通る。左手屈臂して膝上におき、第一、三、四指をまげて蓮台上の宝珠をとる。右手屈臂して右膝頭に肘をつき、五指を軽くまげて頬にあてる。左足を垂下し、右膝をたてて坐す。台座は、岩座上の蓮華座(後補)である。
構造は、頭体幹部通して両耳前から肩やや前寄を通る線で前後に二材を矧ぎ、内刳し、三道下で頭部を割矧ぐ。両肩先より地付まで通して、各一材を体側に矧ぐ。脚部は、横に一材を矧ぎ、垂下する左足は膝下で、立てた右足は足首で、それぞれ別材を矧ぐ。彩色は後補で、白毫、左手持物の一部、左足先を欠失し、右手首の矧寄などがゆるむ。