塙町の文化財 -049/105page
薄い感じを受ける。やはり体の奥行がなく、正面では一応すっきりと整った表現をみせているが、彫刻としての力強さに欠ける。
十八、木造薬師如来坐像
江戸時代
徳林寺 大字常世北野字赤坂
像高 三八・八cm
寄木造 玉眼嵌入 漆箔肉髻部は椀を伏せたようにあらわされ、螺髪は粒状に細かく彫られる。左肩を覆い右腋下を通る衲衣と、右肩にかかる偏衫をつける。左手を膝上におき、薬壼をとっていたが、現在ではその薬壼が失われている。右手はあげて五指をのばす。左足を外にして結跏趺坐(けつかふざ)する。
構造は、頭部は前後に二材を矧ぎ、三道下で体躯に挿し込んでいるようである。体躯は前後に二材を矧ぎ、さらに両肩を通る線で体側に各一材を矧いでいる。脚部は、横に一材を矧ぐ。標準的な構造を示している。
この像は、当寺の本尊である。棟札によると、当寺は正徳五年(一七一五)に建てられた。しかし大きな損壊を受け、天保十二年(一八四一)に再建されている。この像は、円満なお顔に、体躯の奥行も十分にあり、安定感に富んでいる。衣の襞も形式化しつつ、整理されて表現されている。当寺の建てられた、正徳五年頃につくられたものと考えられる。